死ぬ直前に思い出は走馬灯のように蘇りません [8ヵ国目: Egypt]

前回の投稿を書いてから、老後について考えていました。
まだ(ぎりぎり)20代なのに、すっかり老け込んだ気分です。
(関連投稿 四半世紀の生き方 [0ヵ国目: Japan])

すでにわたしのおじいちゃん・おばあちゃんは4人とも亡くなってしまっていて、
「年を取るって、老後ってどんな感じ?」って、きっと4人なら答えてくれただろうに、もう話を聞けなくて残念。

そんなことを考えていたら、そういえば自分にも「わたし死ぬんだ」と本気で思った瞬間があったことを思い出しました。

卒業旅行でトルコ・エジプトに行ったときのことです。

イスタンブールのブルーモスク




メンバーは留学仲間のちなつとみなみ。

当時は個人手配の方法も知らなかったし、親が海外旅行そのものを猛反対しており、説得の結果

「行くのはわかったけど絶対安全な方法で!」

と念押しされたので、ツアーでめぐりました。
阪急交通社で、たしかトルコ・エジプト14日間14万円(航空券・ホテル・移動全て込み、ガイド付き)という破格のお値段でした。

トルコは見どころが国の各地域に広がっているのでツアーバスの方が効率よく、歴史の説明もガイドの方にしてもらったほうが断然面白かったので、ツアーで大正解でした。

ガイドさん。日本語ペラペラ。「トルコのイスラム教を適当とかゆるいという人もいますが、それは違います。わたしはそれを『寛容』と呼びます。」って日本語で説明されたときの衝撃。


トルコはとても親日で、歩いているだけで子どもたちが
「Are you Japanese?!」
と目をキラキラさせながら聞いてきて、「Yes」というと、ミッキーマウス並に
「一緒に写真撮ってー!!」
と言われる、という、わたし人気者かもと勘違いさせられる現象が起こっていました。


かわいー
子どもだけじゃなくおばちゃんにも。

あまりにも人気なので、「『No, I'm Chinese (もしくはKorean)』って言ったらどうなるんやろうな?やってみる?」と言っていたのですが、キラキラの目を見ると嘘はつけず。

次から次へと写真を撮られておわりました。

わたしダメかも・・・と自信をなくした時は、トルコに行くといいかもしれません。笑 日本人というだけで人気者になれます。




子どもたちと写真を撮っていたら、なんかモデルさんっぽい人たちがいたので一緒に撮ってもらいました。誰かわからんけど美人&イケメンですね。


トルコを楽しんだ後、飛行機でエジプトに向かいました。

エジプトでは1日自由行動の日があり、エジプト人の友達と合流して、エジプトの首都カイロから、海沿いの街アレキサンドリアに行こうという計画でした。

どうやって行くのか、行き方も行き先も友達にお任せだったのですが、集合したのはカイロのバスターミナル。バスと言っても小型のバンで、途上国ではよく見かけるタイプの「乗り合いタクシー」に近い感じです。

乗ったのは日本人のわたしたち3人、エジプト人の友達1人、と現地のエジプトの方々。


手前に写っているのが友達

快調に高速を走っていたら途中でタイヤがパンク。しかしまだこれは序の口・・・。


道路状況が悪いのか、パンクの仕方が激しい

タイヤを直して再出発!と思ったら、運転手が遅れを取り戻すためか、猛スピードを出し、それに怖がったわたしたちを面白がって蛇行運転しだしたのです。

「まじでやめて・・・・!!!」

と思ったら、バイクに接触しそうになり、急ハンドルで避けた結果、車が転倒。

がん、がん、がん、と、横に3回転して片側の側面を下にした状態で、ズザーっと高速を滑って止まりました。

バイクに接触しそうになって「あぶない!」と思ったところから、回転する車内で、手すりをつかもうとして掴み損ねた(もちろんシートベルトはない)のも、スローモーションのようにゆっくりに感じ、「ああ、わたしは今死ぬかもしれない」と本気で思いました。

その後滑っている時に摩擦でガラスが割れ、乗車していた人がもみくちゃになって潰された、その下からちなつが

「わたしの肩どうなってる?」

と言った時は血の気が引くのを通り過ぎて凍りつきました。

そして高速道路の他の車からわらわら人が降りてきて、当たり前のようによいしょよいしょと横転した車を起こそうとしはじめ、まだちなつが中にいたので「やめて!」と叫びながらも車は立て直され、ちなつが出てきました。

かなり大きな事故だったにも関わらず肩に深めの擦り傷を負っただけですみました。

運転手はかなり痛がっていたのですが他の人も無事だったようで。
ただ、事故で警察沙汰になることを恐れて、ほとんど逃げていってしまいました。


窓ガラスの全部割れた車に無理矢理エンジンをかけて、「出発するから乗って」と言われた時は、さらに凍りつきました。

「乗りたくない」と全力で訴えましたが他に方法もなく、友人に説得されてしぶしぶ乗り込みましたが、
アレキサンドリアに着くまで生きた心地がしませんでした。

その後、街に着くと運転手は逃げるように去り、友人が病院に連れて行ってくれて手当てを受けましたが、ツアー会社の人にこっぴどく怒られました。


そもそも外国人が他の街に行くのには届出が必要で、
さらにイスラム教の国では男女が同じバスに載っているのはダメで、
さらに事故の報告を警察にしてなくて、

うんぬん・・・とわたしたちのケガはわりとそっちのけで、アラビア語と日本語の喋れる現地のツアーコンダクターの方に怒られましたが、まぁ怒られても仕方ない・・・。
なにより、軽症でよかった・・・。

黒の包帯。ちなつーー > <
ツアー会社の人がマクドナルド買ってきてくれて、カイロに戻るバスの中で食べる。ずっとエジプト味のものばかり食べていたからか、やたらおいしくて、生きている喜びを噛みしめる。(大げさ)


日本に帰ってきて念のためCTを撮りましたが、海外旅行をめちゃくちゃ心配していた親には事故のことを言えず。未だに内緒にしています。

後日、CTの領収書を見つけられてこれ何と言われましたが、なんか頭痛くてとかなんとか言ってごまかし。言っていたら、あまりに事故の規模が大きすぎて、二度と海外旅行許してくれなかった気がします。。。


そして、事故の時すごく鮮明に覚えているのが、
死ぬ時って、今までの人生のいい思い出とかが走馬灯のように蘇る、って思ってたけど、
全然そうじゃなかったということ。

わたしがはっきりと見ていたのは、わたしの目の前に座っていた友人の、頭だったということ。

万が一あそこで死んでいたら、わたしが最後に見た景色はこの頭だったんだなぁ。


つるつる・・・!
思い出は生きているうちに振り返っておこう、と肝に命じるのでありました。

いつかトルコ・エジプトの旅も振り返ります。