裏ロシア- ダイヤルのない電話と地下18階 [30カ国目: Estonia]

エストニアでは、宿のお兄さんに教えてもらいKGBツアーに参加しました。
ロシア語読みでКГБカー・ゲー・ベー。プーチン大統領が所属していたことでも有名。



エストニアKGBツアー

旧ソ連時代は外国との接触が禁止されており、エストニアではこのホテルだけが唯一外国人が泊まれる場所だった。外国人がまとまって宿泊しているので、情報を一挙に集めるチャンス。
ホテルは最上階はKGB専用フロアとして使われていました。


ダイヤルのないKGB本部への直通電話。ダイヤルを取るとロシア語が流れ、何もせずしばらくすると
「外国人よ、切れ!これはお前の電話ではない!」と言われる。


"Here is nothing (ここには何もない)"と書かれているドア。いかにも怪しい。


盗聴用器具の数々。

カフスボタン型の盗聴器。他にも、皿の下に盗聴器が仕込まれることも。


一番印象深かったのは、ツアーのおじさんが最後に言った一言。

「エストニアが独立を回復したのは1991年で今からたった20年ちょっと前。
KGBのスパイ活動は決して遠い過去の話ではない。こうして話している今も、KGBはエストニア国内でスパイ活動をしているかもしれない。」

タリンではソ連の面影を感じることはありませんでしたが、

「旧市街を一歩でれば旧ソの匂いがぷんぷんする」
と宿のお兄さん。

旧社会主義に占領されていた時の色はまだ根強く残っているのかもしれません。



タリンでは旅の家(Tabinoya)という日本人宿にお世話になったのだけど、実に素敵でした。

(ロシアの宿はひたすら便利で清潔であればOKという基準で選んでいて、悪くはなかったのだけど。ここはすごくよかった。)

しかも安くて、立地も最高で朝食もついていて、できればあと2~3泊はしたかったなぁ!

いろいろと世界を旅した後、人との縁があってエストニアに戻ってきたというお兄さん。
いろいろとおすすめを紹介してもらいありがとうございました。



エストニア雑貨

エストニアに来ると一気に雑貨やサービスのクオリティもあがり、旧社会主義を抜けてEUに来入った!という印象だったので、旧ソの影が色濃く残っているとは意外でした。

観光案内所にあったカップが可愛すぎてまとめ買い!エストニア内各県の民族の柄らしい。
他にも、全20種類くらいあり、全部買いたかった~。

マトリョーシカ風の飾りも、ロシアだと可愛いの見つからなかったのが一気にかわいく。

レストランもおしゃれ!


モスクワ冷戦博物館

ソ連関連でいうとモスクワにある冷戦博物館(地下18階の旧核シェルター施設見学)もおすすめ。

英語ツアーの時間が書かれていないので、電話かメールで問い合わせを。
料金は事前にクレジットで支払うようWebには書かれているけど、 言われた時間に直接行けば大丈夫。

配線でUSSR(旧ソ連)のマークが。

Caution!この後階段で地下18階まで降りる。

説明の途中で脈絡もなく突然「My name is Andrew.」と何度も言うツアーのお兄さん。

「Do you want to take a picture with me?」って、Yes以外言いにくいわ!笑 
プライバシーのため、キャンベルの顔をサンタに変えてお届けしております。

社会主義・独裁的国家のもと、旧ソ連がとった行動は、確かにおかしいこともありました。

けれど、その"旧ソ連と戦うため"という大義名分で、アメリカや他国が民主的に決めた行動も、
結局は旧ソ連と同じで、核実験や戦争でした。

さらには核実験にとどまらず、実際に核を日本に投下したり(しかも2回も)、枯葉剤を使ったり、
一部のみを取り上げれば、アメリカがとった行動は旧ソ連よりも徹底的です。

今され歴史のことを振り返って、どこの国がどうというつもりはないですが、

民主主義だから、 みんなで決めたから、正しい、とは限らないのだな、と。

むしろ、みんなで間違ったことを決めてしまうことのほうが、変に意見がまとまっている分、怖いです。
何が正しいかの絶対的な定義もない中、国としてまとまりをもって決める、実行するってすごいこと。

ただ、国民の総意は個人の意見と合致しないこともあります。
みんなで決めたから正しい、じゃなくて、何がいいのか、自分でちゃんと考えないですね。


そして旅はフェリーで約1時間半のフィンランド ヘルシンキへと。
ヘルシンキではさらに雑貨のクオリティがあがり、私もキャンベルも散財を重ねることに・・・・!

つづく