カーペ・ディエム [Movie: いまを生きる]



昔の映画の、映画館でのリバイバル上映をやっていて、見に行ってきました。

父と行く予定だったのに寝坊のため、ひとり映画。。。でしたが、とてもいい映画で、名作はいつの時代も色褪せないな、と思いました。
「今を生きろ若者たちよ。素晴らしい人生を掴むのだ」
https://jp.pinterest.com/bcwolf4d/dead-poets-society/


いまを生きるは1990年公開
(画像出典 
http://eiga.com/movie/42487/)


アメリカの超進学校で、自分のやりたい事に蓋をして親や世間の期待に沿うためだけの人生に警鐘を鳴らし、新任英語(アメリカでいうと国語)教師と、その生徒たちが交流していく、そんな話でした。


あれ、この展開…
インド映画の中でわたし史上最高名作の、「きっと、うまくいく」(原題: 3 idiots) になんか似てる!

時代や国や文化が違えど、人の悩みってだいたい共通なのでしょうか。

「きっと、うまくいく」では、「アール・イズ・ウェル (Aal izz well)」(all is wellをもじった言葉)がキーワードとして使われ、主人公たちが事あるごとに唱えていました。

「いまを生きる」では、そのキーワードは「カーペ・ディエム (Carpe Dirm)」です。


その日を摘め(そのひをつめ、ラテン語Carpe diemカルペ・ディエム)は、紀元前1世紀古代ローマの詩人ホラティウスの詩に登場する語句。「一日の花を摘め」、「一日を摘め」などとも訳される。
また英語では「seize the day」(その日をつかめ/この日をつかめ)とも訳される。ホラティウスは「今日という日の花を摘め」というこの部分で、「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」と言おうとしている。
「その日を摘め(Carpe diem)」はより長い句の一部分であり、句の全体は「Carpe diem quam minimum credula postero」、つまり「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」である。詩全体では、神々がどのような死を我々にいつ与えるかは知ることは出来ず、知ろうと苦しむよりも、どのような死でも受け容れるほうがよりよいこと、短い人生の中の未来に希望を求めるよりもその日その日を有効に使い楽しむほうが賢明であること、が歌われている。この詩の意図はエピクロス主義にあり、通常考えられているような快楽主義にあるわけではない。  出典: wikipedia Carpe diem

そして映画の中で取り上げられているテーマとしては、「自分のやりたい事はなにか見つけよう、そしてそれをやるために、親や世間からの期待に積極的に裏切れることもあるかもしれないけど、自分の人生責任取れるのは自分だけだからね」、ということでしょうか。

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わたしは幸い、親からは何の期待もなく、自由に育ててくれましたので、特に裏切るものもありません。笑

母親は、祖母が厳しすぎる人だったことに反発し、子どもは型にはめずのびのびと育てようと決めていたみたいです。


今は亡き祖母がよく語ってくれた思い出話に、ティッシュペーパーの件、というのがあります。

私が小さい頃、ティッシュを出すという動作が好きで、ひたすら箱からペーパーを抜き取りまくっていたら、祖母は大慌てでとめようとします。

それを、「箱から出ただけできれいな紙なんだから、また集めて畳んで使えばいいのよ。気がするまでやらせてあげたら」といい、見守ってくれていたのが母でした。

礼儀作法を重んじる祖母はその時の衝撃を忘れられないと言っていました。


こんな画像見つけました。きれい。


また、父親からは「生きてりゃいい」ぐらいの感覚で育てられました。

よく言うと大らかなのですが、悪く言うと何事に対しても放置・放任過ぎで、この父親の感覚から引き起こされてしまった数々の騒動に、今、巻き込まれています。

びっくりするような事が多くありますが、相田みつをさんの「具体的に」を唱えています。




「具体的に」「いまを生きる」でぼちぼち乗り切れるといいなぁ。


話が逸れましたが、
「いまを生きる」のリバイバル上映は、結構いろんなところでやってるみたいなので、興味のある方はぜひ。

「きっと、うまくいく」監督の次期作品「PK」も、10月公開予定なようです。これも見たい。